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	<title>Daily LOG &#187; ひとりごと</title>
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	<description>Daily LOG by Yushi UDAGAWA</description>
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		<title>効果的に仕事をしたい</title>
		<link>http://blog.trequartista.org/diary/effective-works/</link>
		<comments>http://blog.trequartista.org/diary/effective-works/#comments</comments>
		<pubDate>Thu, 22 Apr 2010 16:01:29 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Y.UDAGAWA</dc:creator>
				<category><![CDATA[Diary]]></category>
		<category><![CDATA[ひとりごと]]></category>

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		<description><![CDATA[最近ちょっと思ったのですが、僕は今まで「効率よく仕事をしたい」と考えていたのですが、どうもそれは違うんじゃないか？ と。 効率的に、ではなく “効果的に” というほうがより正しいんじゃないか？ と。 つまり例えば、マインドマップを知って、自分なりに使ってみて、良かった。 GTD について学んで、自分なりに実践してみて、なかなか良い感じだ。 iMandalArt という iPhone アプリに出会い、これはこれで素晴らしい。 *** しかしながら、僕はそのどれもを「効率的に仕事をするために」使おうとしていました。 が、そもそも、その前提が、どうも、違うんじゃないか？ だって、どんなに効率的に仕事をしたとしても、次から次へと仕事のメールが舞い込むし、それはそれ、細かな要望だったり、今までの作業をあざ笑うがごとくにひっくりかえすような内容だったり、それはそれでまあ、キリがないわけです。 *** なので、表現がちょっとややこしいのですが… 今ある仕事を効率よくこなすのではなく、効果的に仕事をこなす …というように考えかた・視点をずらしてみるところに、なんらかのヒントがあるのではないだろうか？ と、思いいたったのであります。 つまりこれは具体的に言うならば、（そして僕の個人的なケースで言えば、）あるプロジェクトがあったときに、シンプルに考えてその最終的な目的は「顧客が満足すること」にあるわけです。 んで、顧客は顧客で、自分が満足したいので、いろんな要望を投げかけてくる。 それに対して、“効率よく” それらをこなすのか？ それとも、最終的な目的を達成するために、“効果的な” 提案（や作業）を優先していくのか？ というようなこと、ではないかと、なんとなく思う次第であります。 *** そして大切なことは、僕みたいな立場（フリー）の人間は、顧客を満足させることが、自分を満足させることにもつながるような前提で仕事をしていくことが大切であり、それに対して常に効果的な手を打っていくことができれば、そりゃきっと、仕事は毎日楽しいのではないか？と。 僕の場合は、ですが、仕事を効率よくこなそう、と考えていたときは、ある部分において受け身的、になってしまっていたのだと思います。 効果的な仕事（作業）をするぞ、と考えることにより、より能動的、もしくは創造的に仕事をすることができるのでは？ と、感じる今日この頃。 この辺、今後、ちょっと追求してみたいテーマではあります。]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>最近ちょっと思ったのですが、僕は今まで「効率よく仕事をしたい」と考えていたのですが、どうもそれは違うんじゃないか？ と。</p>
<p>効率的に、ではなく “効果的に” というほうがより正しいんじゃないか？ と。</p>
<p>つまり例えば、マインドマップを知って、自分なりに使ってみて、良かった。</p>
<p>GTD について学んで、自分なりに実践してみて、なかなか良い感じだ。</p>
<p>iMandalArt という iPhone アプリに出会い、これはこれで素晴らしい。</p>
<p>***</p>
<p>しかしながら、僕はそのどれもを「効率的に仕事をするために」使おうとしていました。</p>
<p>が、そもそも、その前提が、どうも、違うんじゃないか？</p>
<p>だって、どんなに効率的に仕事をしたとしても、次から次へと仕事のメールが舞い込むし、それはそれ、細かな要望だったり、今までの作業をあざ笑うがごとくにひっくりかえすような内容だったり、それはそれでまあ、キリがないわけです。</p>
<p>***</p>
<p>なので、表現がちょっとややこしいのですが…</p>
<ul>
<li>今ある仕事を効率よくこなすのではなく、効果的に仕事をこなす</li>
</ul>
<p>…というように考えかた・視点をずらしてみるところに、なんらかのヒントがあるのではないだろうか？</p>
<p>と、思いいたったのであります。</p>
<p>つまりこれは具体的に言うならば、（そして僕の個人的なケースで言えば、）あるプロジェクトがあったときに、シンプルに考えてその最終的な目的は「顧客が満足すること」にあるわけです。</p>
<p>んで、顧客は顧客で、自分が満足したいので、いろんな要望を投げかけてくる。</p>
<p>それに対して、“効率よく” それらをこなすのか？</p>
<p>それとも、最終的な目的を達成するために、“効果的な” 提案（や作業）を優先していくのか？</p>
<p>というようなこと、ではないかと、なんとなく思う次第であります。</p>
<p>***</p>
<p>そして大切なことは、僕みたいな立場（フリー）の人間は、顧客を満足させることが、自分を満足させることにもつながるような前提で仕事をしていくことが大切であり、それに対して常に効果的な手を打っていくことができれば、そりゃきっと、仕事は毎日楽しいのではないか？と。</p>
<p>僕の場合は、ですが、仕事を効率よくこなそう、と考えていたときは、ある部分において受け身的、になってしまっていたのだと思います。</p>
<p>効果的な仕事（作業）をするぞ、と考えることにより、より能動的、もしくは創造的に仕事をすることができるのでは？</p>
<p>と、感じる今日この頃。</p>
<p>この辺、今後、ちょっと追求してみたいテーマではあります。</p>
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		<title>“追われる” から “追う” へ。もしくはその隙間。</title>
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		<pubDate>Fri, 05 Feb 2010 17:10:20 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Y.UDAGAWA</dc:creator>
				<category><![CDATA[Diary]]></category>
		<category><![CDATA[GTD]]></category>
		<category><![CDATA[iPhone]]></category>
		<category><![CDATA[iMandalArt]]></category>
		<category><![CDATA[OmniFocus]]></category>
		<category><![CDATA[ひとりごと]]></category>

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		<description><![CDATA[ええと、今回は雑文です。 最近、ちょっと感じていることを少し。 いわゆる “GTD” というものを知って、Omni Focus というのを使いつつ実践していくにあたり、少しずつ、日々のプロジェクトがタスク化され、今までの「追われる」感が少なくなってきたような実感はあります。 まあよくよく考えてみれば、今、僕はおそらく４つとか５つくらいの案件を抱えているわけであり、貧乏暇なしってな感じではありますが、それはそれでとてもありがたいことなんだけれど、でも、僕みたいなフリーな人間は、次の仕事とか、それからその次の仕事とか、その次の…ってこともやっていかなくてはいけません。 他の人はどうか知りませんが、これっていうのは結局のところ、次へ、次へ…と、考えていくと、すぐに「一生をどう過ごすのか？」ということに思い当たったり、当たらなかったりするわけです。 *** そう考えてみると、iMandalArt という iPhone アプリには、「Life」という要素がありまして、それはそれで活用しない手はないんじゃないか？ と、思うと同時に、なぜこんなことを考えているかというと、僕もそろそろ “結婚” という人生の一大イベントらしきものにぶちあたるのではないかという予感がひしひしと、もしくは “ひたひたと” しているからであります。 *** Omni Focus を使ってプロジェクトをアクションという単位に微分し、それに “コンテキスト” と呼ばれる条件をつけ、ひとつひとつのタスクをこなしていくことは、確かに効率的であり、楽しいことでもあるのですが、重要なのは、「そのタスクにどういう意味があるか？」ということであり、そこに iMandalArt 的な「Life」という視点は、欠かせないのではないかと感じる次第。 しかしながらやっかいなことに、もう少し考えを深めてみると、すべてのことには意味があるようでない、もしくはその逆であり、結局、どっちでもいいじゃないか、と、感じてしまうのも確かなところ。 *** だから僕たちは…っていうかいきなり “僕たち” といわれても困ると思うんだけれど…おそらく大切なことは、“矛盾した感情を扱う” ということではないでしょうか？ 効率的なことをしたいけれど、無駄なこともしたい。 自らの手で人生を切り開きつつ、ただ単に流されてもいってみたい。 結局、どっちなんだよ、という話しなんですが、たぶん、考えるところ、人っていうのは矛盾しているはずなので、どっちでも良いのではないでしょうか？ これは別になげやりな意味ではなく、それを踏まえたうえで僕ができることは、おそらくこういった取り扱いに困るような感情を “どうにかこうにか表現” しようと試みることではないかと感じています。 *** 今回のエントリには落としどころがありません。 が、あえて強引に着地しようとするならば、いわゆる iPhone や Mac などのデジタルなツールには、僕にとっての “表現” を手助けしてくれるような「創造的な何か？」があり、このブログでは、最終的にはそんなところにちょこっとだけ踏み込んだ記事を書けるようになったら、それはそれで楽しいなあ、と、思っています。 とりあえず今日は寝る前に、iMandalArt の “Life” をいじってみようと思います。]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>ええと、今回は雑文です。 最近、ちょっと感じていることを少し。</p>
<p>いわゆる “GTD” というものを知って、Omni Focus というのを使いつつ実践していくにあたり、少しずつ、日々のプロジェクトがタスク化され、今までの「追われる」感が少なくなってきたような実感はあります。</p>
<p>まあよくよく考えてみれば、今、僕はおそらく４つとか５つくらいの案件を抱えているわけであり、貧乏暇なしってな感じではありますが、それはそれでとてもありがたいことなんだけれど、でも、僕みたいなフリーな人間は、次の仕事とか、それからその次の仕事とか、その次の…ってこともやっていかなくてはいけません。</p>
<p>他の人はどうか知りませんが、これっていうのは結局のところ、次へ、次へ…と、考えていくと、すぐに「一生をどう過ごすのか？」ということに思い当たったり、当たらなかったりするわけです。</p>
<p><span id="more-2401"></span></p>
<p>***</p>
<p>そう考えてみると、iMandalArt という iPhone アプリには、「Life」という要素がありまして、それはそれで活用しない手はないんじゃないか？ と、思うと同時に、なぜこんなことを考えているかというと、僕もそろそろ “結婚” という人生の一大イベントらしきものにぶちあたるのではないかという予感がひしひしと、もしくは “ひたひたと” しているからであります。</p>
<p><img src="http://blog.trequartista.org/wp-content/uploads/2010/02/iMandalArt-life.jpg" alt="" title="iMandalArt-life" width="200" height="300" class="aligncenter size-full wp-image-2403 postimg" /></p>
<p>***</p>
<p>Omni Focus を使ってプロジェクトをアクションという単位に微分し、それに “コンテキスト” と呼ばれる条件をつけ、ひとつひとつのタスクをこなしていくことは、確かに効率的であり、楽しいことでもあるのですが、重要なのは、「そのタスクにどういう意味があるか？」ということであり、そこに iMandalArt 的な「Life」という視点は、欠かせないのではないかと感じる次第。</p>
<p>しかしながらやっかいなことに、もう少し考えを深めてみると、すべてのことには意味があるようでない、もしくはその逆であり、結局、どっちでもいいじゃないか、と、感じてしまうのも確かなところ。</p>
<p>***</p>
<p>だから僕たちは…っていうかいきなり “僕たち” といわれても困ると思うんだけれど…おそらく大切なことは、“矛盾した感情を扱う” ということではないでしょうか？</p>
<p>効率的なことをしたいけれど、無駄なこともしたい。</p>
<p>自らの手で人生を切り開きつつ、ただ単に流されてもいってみたい。</p>
<p>結局、どっちなんだよ、という話しなんですが、たぶん、考えるところ、人っていうのは矛盾しているはずなので、どっちでも良いのではないでしょうか？</p>
<p>これは別になげやりな意味ではなく、それを踏まえたうえで僕ができることは、おそらくこういった取り扱いに困るような感情を “どうにかこうにか表現” しようと試みることではないかと感じています。</p>
<p>***</p>
<p>今回のエントリには落としどころがありません。</p>
<p>が、あえて強引に着地しようとするならば、いわゆる iPhone や Mac などのデジタルなツールには、僕にとっての “表現” を手助けしてくれるような「創造的な何か？」があり、このブログでは、最終的にはそんなところにちょこっとだけ踏み込んだ記事を書けるようになったら、それはそれで楽しいなあ、と、思っています。</p>
<p>とりあえず今日は寝る前に、iMandalArt の “Life” をいじってみようと思います。</p>
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		<title>分離と統合、情報の一元化</title>
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		<pubDate>Sat, 26 Dec 2009 03:06:05 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Y.UDAGAWA</dc:creator>
				<category><![CDATA[Diary]]></category>
		<category><![CDATA[Log]]></category>
		<category><![CDATA[Twitter]]></category>
		<category><![CDATA[ひとりごと]]></category>

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		<description><![CDATA[「分離と統合」ということについて、感じたことをまとめておきたいと思います。 一般的には「情報の一元化」とかって最近は呼ばれているのかな？ これは特に Twitter をやってて思ったことなんだけれど、とにかく適当にずらずらーっとフォローさせていただくと、「自分にはまったく関係なさそうにみえる情報」が、どんどん入ってくる。 と、同時に、「これはすごく関係ありそうだ！」とか、「これは今すぐチェックしなくては！」というような情報も、どんどん入ってくる。 よく「カオス」なんて言われたり、言われなかったりしているけれど。 *** で、Twitter のタイムラインを眺めていて思ったのが、「分離と統合」ということ。 つまり、いろいろなものを「整理しやすくするためにあらかじめ分けて」考えたり、処理したりするのではなく、「なるべく一緒に、ごった煮的にしてみたい」ということ。 もちろんこれは、その最終段階…つまり、情報をゲットして、思考して、行動を起こす、という流れ…に従って、徐々に細分化されてはいくのだけれど、初期の段階「情報をゲット」というフェーズでは、「カオス」というものに、少なくとも今は、魅かれている。 えっと、もう少し適切な言葉でいえば「ノンカテゴリー」ということになるのかな？ *** そんなような意味で、結局、僕が発信する情報も、できるだけごっちゃにしようと思った。 もしもそれにタグをつけるのならば、それは「僕」というタグしかつけようのないような。 *** このことについて、根本を探ってみるのならば、それはおそらく「エゴを肯定すること」になると思うんだけれど、この部分については、もう少し考える必要があると思う。 つまり、人は自由を恐れる、と誰かがいったけれど、そのとおりなのかもしれない。 自由というのは、保障のない世界だし、何かをめざすこともできない。 でも、あえてそこに魅かれるのは、自分自身をもう少し信頼したいから、なのかも…と、思ったり思わなかったりする、今日この頃、です。]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>「分離と統合」ということについて、感じたことをまとめておきたいと思います。</p>
<p>一般的には「情報の一元化」とかって最近は呼ばれているのかな？</p>
<p>これは特に Twitter をやってて思ったことなんだけれど、とにかく適当にずらずらーっとフォローさせていただくと、「自分にはまったく関係なさそうにみえる情報」が、どんどん入ってくる。</p>
<p>と、同時に、「これはすごく関係ありそうだ！」とか、「これは今すぐチェックしなくては！」というような情報も、どんどん入ってくる。</p>
<p>よく「カオス」なんて言われたり、言われなかったりしているけれど。</p>
<p><span id="more-1591"></span></p>
<p>***</p>
<p>で、Twitter のタイムラインを眺めていて思ったのが、「分離と統合」ということ。</p>
<p>つまり、いろいろなものを「整理しやすくするためにあらかじめ分けて」考えたり、処理したりするのではなく、「なるべく一緒に、ごった煮的にしてみたい」ということ。</p>
<p>もちろんこれは、その最終段階…つまり、情報をゲットして、思考して、行動を起こす、という流れ…に従って、徐々に細分化されてはいくのだけれど、初期の段階「情報をゲット」というフェーズでは、「カオス」というものに、少なくとも今は、魅かれている。</p>
<p>えっと、もう少し適切な言葉でいえば「ノンカテゴリー」ということになるのかな？</p>
<p>***</p>
<p>そんなような意味で、結局、僕が発信する情報も、できるだけごっちゃにしようと思った。</p>
<p>もしもそれにタグをつけるのならば、それは「僕」というタグしかつけようのないような。</p>
<p>***</p>
<p>このことについて、根本を探ってみるのならば、それはおそらく「エゴを肯定すること」になると思うんだけれど、この部分については、もう少し考える必要があると思う。</p>
<p>つまり、人は自由を恐れる、と誰かがいったけれど、そのとおりなのかもしれない。</p>
<p>自由というのは、保障のない世界だし、何かをめざすこともできない。</p>
<p>でも、あえてそこに魅かれるのは、自分自身をもう少し信頼したいから、なのかも…と、思ったり思わなかったりする、今日この頃、です。</p>
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		<title>今年もあと…（ノマドとクラウド）</title>
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		<pubDate>Mon, 30 Nov 2009 12:03:07 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Y.UDAGAWA</dc:creator>
				<category><![CDATA[Diary]]></category>
		<category><![CDATA[Log]]></category>
		<category><![CDATA[ひとりごと]]></category>

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		<description><![CDATA[なんだか早くも12月。 2009年も終わり。 なんだかちょっと、寂しくなりますねえ。 *** 今年の僕は、振り返ってみるならば、「大きな変化」があった一年だったと思う。 （まだ、あと１ヶ月あるけれど。） やりたいけれど、手が届かないだろうな…と、思っていたもの。 でも、本当は手が届くんだ、ということを知った。 そしてでも、それは、だからといって、「すべてがうまくいくわけじゃない」ということも。 つまり、夢見たものが現実になるっていうことは、どこかしら、悲しみを感じるようなことでもあるんだ。 若い頃に感じた、何かを脱ぎ捨てていくような、あの感覚。 卒業式の、あの、変な気分だ。 *** 実はなんだか苦くって、いつしか、もしかしたら小さな頃から、それを、味わいたくない、と、僕らは思ってきているのかもしれない。 だから、苦い想いをしないですむように、もしかしたら小さな頃から、僕たちは、準備をしておくのかもしれない。 たぶん僕は、準備のできない人間だ。 だから、苦みを味わったと思うけれど、その分、甘みも感じられるようになった。 人生を味わうのなら、それはそれで、良かったのかも、しれない。 *** っていうのが今年11ヶ月の、なんとなくの総括で、結局のところ、僕は、大人になりきれないんだなあ、ということ。 あと１ヶ月で、たぶん、いろんなことの答えがでる。 たぶんまた、あの、卒業式みたいな、なんだか変な気分を味わうんだろうな、きっと。]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>なんだか早くも12月。</p>
<p>2009年も終わり。</p>
<p>なんだかちょっと、寂しくなりますねえ。</p>
<p>***</p>
<p>今年の僕は、振り返ってみるならば、「大きな変化」があった一年だったと思う。<br />
（まだ、あと１ヶ月あるけれど。）</p>
<p>やりたいけれど、手が届かないだろうな…と、思っていたもの。</p>
<p>でも、本当は手が届くんだ、ということを知った。</p>
<p>そしてでも、それは、だからといって、「すべてがうまくいくわけじゃない」ということも。</p>
<p>つまり、夢見たものが現実になるっていうことは、どこかしら、悲しみを感じるようなことでもあるんだ。</p>
<p>若い頃に感じた、何かを脱ぎ捨てていくような、あの感覚。</p>
<p>卒業式の、あの、変な気分だ。</p>
<p>***</p>
<p>実はなんだか苦くって、いつしか、もしかしたら小さな頃から、それを、味わいたくない、と、僕らは思ってきているのかもしれない。</p>
<p>だから、苦い想いをしないですむように、もしかしたら小さな頃から、僕たちは、準備をしておくのかもしれない。</p>
<p>たぶん僕は、準備のできない人間だ。</p>
<p>だから、苦みを味わったと思うけれど、その分、甘みも感じられるようになった。</p>
<p>人生を味わうのなら、それはそれで、良かったのかも、しれない。</p>
<p>***</p>
<p>っていうのが今年11ヶ月の、なんとなくの総括で、結局のところ、僕は、大人になりきれないんだなあ、ということ。</p>
<p>あと１ヶ月で、たぶん、いろんなことの答えがでる。</p>
<p>たぶんまた、あの、卒業式みたいな、なんだか変な気分を味わうんだろうな、きっと。</p>
]]></content:encoded>
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		<title>過去の栄光を捨てて、痩せている自分を取り戻せ</title>
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		<pubDate>Sun, 15 Nov 2009 12:51:59 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Y.UDAGAWA</dc:creator>
				<category><![CDATA[Diary]]></category>
		<category><![CDATA[Log]]></category>
		<category><![CDATA[ひとりごと]]></category>
		<category><![CDATA[ダイエット日記]]></category>
		<category><![CDATA[ローフード]]></category>

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		<description><![CDATA[過去の栄光にすがる、ということは、カッコ悪い、とは言わないまでも、あまりカッコ良くないことかもしれません。 ましてや、「自分がそういう人だった」ということに気づいた今日は、ある意味、恥ずかしく、ある意味、素晴らしき再出発の日、となるかもしれません…。 …ならないかもしれませんが。 なんのことかというと、ダイエット、です… *** 僕にはダイエットの成功体験が２度ほどあります。 最初は、２年くらい前。 夜ごはんをすべてサラダだけにして、３ヶ月で 8kg ほど痩せました。 しかし「食欲を我慢すること」にも限界があります。 次の１ヶ月で、一気に 10kg 太りました。 …あれ、これ、失敗体験ですかね？ *** 次は、今年。 今年に入ってから、10kg くらいは痩せたと思います。 きっかけは、ローフード。 ローフードっていうのは、「生食」っていう意味です。 お菓子の代わりに、バナナ。夜食の代わりに、リンゴ。食事のときは、果物や野菜から食べる。 たったこれだけ。一度も、食欲を我慢したことはありません。 それで 10kg も痩せるなんて、ビックリですよね。 しかし、ここに落とし穴がありました。 *** 「俺は、痩せようと思えば、いつでも痩せられる」 思い上がりも良いところなんですが、そう実感してしまった僕は、ポテトチップスを夜中にボリボリ、チョコレートをパクパク。 自堕落です。 もうひとりの俺がみたら、さぞやカッコ悪いことでしょう。 だって、「いつでも痩せられる」って思ってたから…。 *** まあ、この辺の経緯はどうでもよいんですが、今、僕は、もう一度、ダイエットをするべき時期にきています。 時期、というか、体重ですね。 お菓子のかわりに果物を食べよう 食事は、野菜から食べよう 食欲はがまんしなくていい。夜中にお腹が減ったら、果物を食べよう できるだけ運動しよう。ヨガと散歩。１日１時間くらいできたらいいな 以上４点。 というわけで、頑張ります。]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>過去の栄光にすがる、ということは、カッコ悪い、とは言わないまでも、あまりカッコ良くないことかもしれません。</p>
<p>ましてや、「自分がそういう人だった」ということに気づいた今日は、ある意味、恥ずかしく、ある意味、素晴らしき再出発の日、となるかもしれません…。</p>
<p>…ならないかもしれませんが。</p>
<p>なんのことかというと、ダイエット、です…</p>
<p><span id="more-591"></span></p>
<p>***</p>
<p>僕にはダイエットの成功体験が２度ほどあります。</p>
<p>最初は、２年くらい前。</p>
<p>夜ごはんをすべてサラダだけにして、３ヶ月で 8kg ほど痩せました。</p>
<p>しかし「食欲を我慢すること」にも限界があります。</p>
<p>次の１ヶ月で、一気に 10kg 太りました。</p>
<p>…あれ、これ、失敗体験ですかね？</p>
<p>***</p>
<p>次は、今年。</p>
<p>今年に入ってから、10kg くらいは痩せたと思います。</p>
<p>きっかけは、ローフード。</p>
<p>ローフードっていうのは、「生食」っていう意味です。</p>
<p>お菓子の代わりに、バナナ。夜食の代わりに、リンゴ。食事のときは、果物や野菜から食べる。</p>
<p>たったこれだけ。一度も、食欲を我慢したことはありません。</p>
<p>それで 10kg も痩せるなんて、ビックリですよね。</p>
<p>しかし、ここに落とし穴がありました。</p>
<p>***</p>
<p>「俺は、痩せようと思えば、いつでも痩せられる」</p>
<p>思い上がりも良いところなんですが、そう実感してしまった僕は、ポテトチップスを夜中にボリボリ、チョコレートをパクパク。</p>
<p>自堕落です。</p>
<p>もうひとりの俺がみたら、さぞやカッコ悪いことでしょう。</p>
<p>だって、「いつでも痩せられる」って思ってたから…。</p>
<p>***</p>
<p>まあ、この辺の経緯はどうでもよいんですが、今、僕は、もう一度、ダイエットをするべき時期にきています。</p>
<p>時期、というか、体重ですね。</p>
<ul>
<li>お菓子のかわりに果物を食べよう</li>
<li>食事は、野菜から食べよう</li>
<li>食欲はがまんしなくていい。夜中にお腹が減ったら、果物を食べよう</li>
<li>できるだけ運動しよう。ヨガと散歩。１日１時間くらいできたらいいな</li>
</ul>
<p>以上４点。</p>
<p>というわけで、頑張ります。</p>
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		<title>性分（やっかいなもの）</title>
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		<pubDate>Wed, 11 Nov 2009 19:18:52 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Y.UDAGAWA</dc:creator>
				<category><![CDATA[Diary]]></category>
		<category><![CDATA[Log]]></category>
		<category><![CDATA[ひとりごと]]></category>

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		<description><![CDATA[最近、ちょっと思ったんだけれど、他人を変えることよりも、自分を変えることのほうが難しい。 他人を変えるというのは、もしかしたら、意外と簡単なことなのかもしれない。 でも、自分を変えるというのは、なかなか難しいことなのかもしれない。 そして、もしも他人を変えることが簡単ならば、僕も、他人によって変わっているはず。 …そう考えてみると、そんな気がしてきません？ さまざまな状況やお付きあいする人、などなどの外的な要因によって、自分は変わってきているような、そんな気が。 だから、難しいのは何かっていうと、「自分で自分を変える」ということだと思う。 これは難しい。 *** そういう意味では、誰だって自分がかわいいのだと思う。 だから、そういう意味では、もう少し他人に助けを求めても良いんじゃないかな？ 甘えすぎたり、依存しすぎたりするのはちょっと違うと思うけれど、「変えたい自分」があるのなら、「自分で自分を変えよう」としすぎずに、他人の力を借りてみる…っていうのも、悪いことじゃないよね？ たぶん。 例えば、男子たるもの、結婚して守るものができたら、やっぱり変わると思う（自信はないけれど）。 *** ただ、僕が思うに、どうしても変わらないものがあるとしたら、それは、いわゆる「性分」っていうものだと思う。 こいつがなかなかやっかいで、でも、付きあわざるを得ない自分、というものの正体、なんだろうなあ。 …自分の「性分」をできるだけ消してみたい、何もない、ニュートラルでフラットな「性」になってみたい…などと、思うのは僕だけだろうか？？？]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>最近、ちょっと思ったんだけれど、他人を変えることよりも、自分を変えることのほうが難しい。</p>
<p>他人を変えるというのは、もしかしたら、意外と簡単なことなのかもしれない。</p>
<p>でも、自分を変えるというのは、なかなか難しいことなのかもしれない。</p>
<p><span id="more-583"></span></p>
<p>そして、もしも他人を変えることが簡単ならば、僕も、他人によって変わっているはず。</p>
<p>…そう考えてみると、そんな気がしてきません？</p>
<p>さまざまな状況やお付きあいする人、などなどの外的な要因によって、自分は変わってきているような、そんな気が。</p>
<p>だから、難しいのは何かっていうと、「自分で自分を変える」ということだと思う。</p>
<p>これは難しい。</p>
<p>***</p>
<p>そういう意味では、誰だって自分がかわいいのだと思う。</p>
<p>だから、そういう意味では、もう少し他人に助けを求めても良いんじゃないかな？</p>
<p>甘えすぎたり、依存しすぎたりするのはちょっと違うと思うけれど、「変えたい自分」があるのなら、「自分で自分を変えよう」としすぎずに、他人の力を借りてみる…っていうのも、悪いことじゃないよね？ たぶん。</p>
<p>例えば、男子たるもの、結婚して守るものができたら、やっぱり変わると思う（自信はないけれど）。</p>
<p>***</p>
<p>ただ、僕が思うに、どうしても変わらないものがあるとしたら、それは、いわゆる「性分」っていうものだと思う。</p>
<p>こいつがなかなかやっかいで、でも、付きあわざるを得ない自分、というものの正体、なんだろうなあ。</p>
<p>…自分の「性分」をできるだけ消してみたい、何もない、ニュートラルでフラットな「性」になってみたい…などと、思うのは僕だけだろうか？？？</p>
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