Core -自分自身の核となるもの-

10月に入ってからというもの、さまざまなブログを立ち上げ、いわゆる「アウトプット」と呼ばれる作業をしてきました。

これはつまり、自分自身の原点とでもいうべきものを探る作業であったと思っています。

ここ2〜3日、その原点、核、とでも呼ぶべきものについて、より深く考えていました…

…小学校2年生のとき、命を失うといわれた病気のこと、兄と家族、そこから派生する僕への期待、そしてその期待に応えようとして自分自身が壊れてしまった、20歳過ぎの2年間のこと、父の死をきっかけに起業したこと、その後、他人へのアドバイスをさせていただくお仕事をはじめたこと。

これらの経験を通していえることは、「生と死」ということです。

小さい頃から、生きることと死ぬことに関わる体験をしてきた僕は、その経験を通して、常に、「生と死」について考え、それに従って行動してきました。

結果として、既存の価値観にとらわれることなく(だって、どうせ死ぬんだから、という、あきらめにも似たポジティブシンキング、とでも言えばよいのでしょうか?)、かつ、死、というものを、それに触れるくらいにまで体験したからこその、「生」に対する純粋性(ちょっとしたことでも、純粋に喜び、楽しむことができる、生へのどん欲さ、とでも言えば良いでしょうか?)…

…これらを通して、おそらく僕は、「自分らしさ」というものについて、人並み以上にこだわる傾向があります。

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生を全うし、死ぬ、ということを考えたとき、僕の中では、「自分」というものへの深い考察と客観的な洞察というものが、必要不可欠だと思えるから、です。

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そして、僕の資質としては、「創造すること」、そして「他人を助けたいという気持ち」があります。

なぜ、創造することが好きなのかは分かりませんが、逆説的にいえば、もし、一生、働かなくても良い、といわれたならば、何かを「創造」するような活動をするであろう、と、思われるからです。

そして、「他人を助けたいという気持ち」、これもよく分かりませんが、僕は、自分が信頼している人間に対しては、自分と他人を同一視してしまうくらい、相手に入れ込んでしまう傾向があります。

言い換えるならば、「愛とつながり」を大切にしたいという気持ちがある、ということかもしれません。

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10月、いろいろなアウトプットと、その結果としてインプットされた情報から考えるに、おそらくのところ、これが、僕の原点とでもいうべきものだと、感じています。

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僕が感じるのは、うそ偽りなく、僕は恵まれている、ということです。

特に、家族からの愛情、そして、近しい、信頼できる人からの愛情。

なぜかは分かりませんが、常に、僕には助けてくれる人がいました。

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結局なにがいいたいのかというと、これは僕にとっては大きな発見である、ということです。

うまく言葉にできませんが、生と死、つまり、生きかたの問題、というものである、と、いえるからです。

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よく、自分さがしの旅、なんていいますが、僕は、ああいうのに対しては否定も肯定もしていません。

ただ、バランスが重要ではある、と、思っていますが。

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