考えてみれば、とても贅沢なもの…
いつも僕は、「自分が何をやりたいか?」ということを考えたり、感じたりしてきた。
そしてそれを仕事にできるように、あれこれと考えたり、やってきたりした。
これって、ある意味で、とても贅沢なことなのかもしれない。
「やらなければいけないこと」ではなく「やりたいこと」を追求できる環境にあるのだから。
でも、もしかしたら僕は、その環境のうえに、あぐらをかいてしまっているかもしれない。
「自分が本当に好きなこと」という宝物を探す、いつまでも終わらない旅のように。
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それで、例えばのはなし、結局、そんなものはないんだ、と、考えてみる。
別に僕には好きなことなんかない、毎日、ただ、淡々と過ぎていくのならば、それはそれで幸せじゃないか?
と。
これはある意味、真実で、実は僕が望んでいるのは、こういうことだったりも、する。
つまり、自然体。
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では、自然体とビジネスは両立するだろうか?
自然体だから、「仕事をしよう」という感覚はない。
存在それ自体が仕事であり、価値を生み出すようなこと。
例えばこれは、「何かをすることが(その人にとっての)自然」というのはあるかもしれない。
例えば、歌っているとき。
例えば、踊っているとき。
こういう、ナチュラルボーン的な発想は好きで、僕にとってのナチュラルボーンは何か?と、考えてみると、なんだろう?
考えたり、創ったりすることが好きだ。
地道で単調な作業はキライ…でも、細かい作業は好きだ(どっちなんだよ…)。
人との交渉ごとはキライ。
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だからたぶん僕は、何かを創る人、なんだと思うし、そう思いたい。
可能であるならば、僕はその“発想”でもってお仕事をしていきたい。
作業ではなく、発想。
そしてそれにおいて必要なことは、その発想を、やはり、カタチにして表していく必要がある、ということだ、と、思ふ。
こういう方向性で、もう少し、アイディアを煮詰めてみよう。
