期待と裏切り

今日、車で家に帰るとき、思った。

「僕が死んだら、どれくらいの人がお葬式にきてくれるだろう?」

って。

***

たぶん、そんなに多くはこないだろうな。

でも、きてくれた人は、きっと、悲しんでくれるだろう。

わがままかもしれないけれど、僕が死んだら、やっぱり、悲しんでくれたら、僕は嬉しい、と思う。

喜ばれるよりは、いいよね?

***

僕は今まで、たくさんの人たちを裏切ってきたと思う。

「裏切り」っていうのは一方的な言葉ではあるけれど。

人はなぜ、期待するんだろう?

例えば、誰かが誰かに「勝手に」期待して、相手はそれに、応えられなかったとする。

すると、期待した相手は、がっかりして、「裏切られた」と、思ってしまう。

勝手に期待して、勝手に裏切られたと思って、がっかりする。

まるでひとり相撲だ。

***

だから僕は、今まで、他人に期待したことは、ないと思う。

だから、裏切られた、なんて思ったことも、ない。

そして期待はいつか、依存に変わってしまうことがある。

***

僕はたくさんの人を裏切ってきたと思うけれど、でも僕は、誰の期待にも応えられるような人間には、なれないと思う。

ただ、僕が愛している人に対しては、本気の本気、で、せいいっぱい、その期待に応えられるように努力すると思う。

なんだかやっかいかもしれないけれど、僕にとっては、これが真実。

だからたぶん、お葬式には、そんなにたくさんの人はきてくれないだろうけれど、きっと、深く深く、悲しんでくれるだろうと(勝手に)思ってる。

***

で、今までのことはどうでもよくて(笑)、要するに何が言いたいか?っていうと、死ぬことを意識する、ってことだ。

よくいわれることだけれど、「明日、死んでも良いように、全力で生きろ!」とかいう人がいる。

例えばこんなふうに。

「今日、この日記を書いて、寝て、明日、そのまま起きないで死んでしまったら?」

確かに、そう考えると、ひとつひとつのことに、もう少しだけ、一生懸命、取り組めるような気がする。

でも、本気で「明日、死んでも良いように、全力で生きる」ことをしようと思ったら、僕はたぶん、死ぬまで寝ないだろう。

だって、全力って、そういうことでしょ?

それに僕は、愛する人のもとから、一瞬たりとも、離れないだろう。

だって、明日、死んじゃうんでしょ?

なんか寂しいじゃない?

***

ただ、「明日、死んでも良いように、全力で生きろ!」という、言葉の意味は、分かる。

一瞬、一瞬に、本気 × 全力でぶつかること。

そしてそれは、死ぬことを意識することにより、行動として表現できるようになる。

こんなような意味だろう。

これはとっても、大切なことだし、素晴らしいことだと思う。

もし僕が、これと同じような意味の言葉を、誰かに言うとするならば、「思わず夢中になってしまうくらい楽しいことをしようよ」と、言うだろう。

そうやって、今、この一瞬、一瞬を、生きていけたら、素敵だと思うから。

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