分離と統合、情報の一元化
「分離と統合」ということについて、感じたことをまとめておきたいと思います。
一般的には「情報の一元化」とかって最近は呼ばれているのかな?
これは特に Twitter をやってて思ったことなんだけれど、とにかく適当にずらずらーっとフォローさせていただくと、「自分にはまったく関係なさそうにみえる情報」が、どんどん入ってくる。
と、同時に、「これはすごく関係ありそうだ!」とか、「これは今すぐチェックしなくては!」というような情報も、どんどん入ってくる。
よく「カオス」なんて言われたり、言われなかったりしているけれど。
***
で、Twitter のタイムラインを眺めていて思ったのが、「分離と統合」ということ。
つまり、いろいろなものを「整理しやすくするためにあらかじめ分けて」考えたり、処理したりするのではなく、「なるべく一緒に、ごった煮的にしてみたい」ということ。
もちろんこれは、その最終段階…つまり、情報をゲットして、思考して、行動を起こす、という流れ…に従って、徐々に細分化されてはいくのだけれど、初期の段階「情報をゲット」というフェーズでは、「カオス」というものに、少なくとも今は、魅かれている。
えっと、もう少し適切な言葉でいえば「ノンカテゴリー」ということになるのかな?
***
そんなような意味で、結局、僕が発信する情報も、できるだけごっちゃにしようと思った。
もしもそれにタグをつけるのならば、それは「僕」というタグしかつけようのないような。
***
このことについて、根本を探ってみるのならば、それはおそらく「エゴを肯定すること」になると思うんだけれど、この部分については、もう少し考える必要があると思う。
つまり、人は自由を恐れる、と誰かがいったけれど、そのとおりなのかもしれない。
自由というのは、保障のない世界だし、何かをめざすこともできない。
でも、あえてそこに魅かれるのは、自分自身をもう少し信頼したいから、なのかも…と、思ったり思わなかったりする、今日この頃、です。
