“追われる” から “追う” へ。もしくはその隙間。
ええと、今回は雑文です。 最近、ちょっと感じていることを少し。
いわゆる “GTD” というものを知って、Omni Focus というのを使いつつ実践していくにあたり、少しずつ、日々のプロジェクトがタスク化され、今までの「追われる」感が少なくなってきたような実感はあります。
まあよくよく考えてみれば、今、僕はおそらく4つとか5つくらいの案件を抱えているわけであり、貧乏暇なしってな感じではありますが、それはそれでとてもありがたいことなんだけれど、でも、僕みたいなフリーな人間は、次の仕事とか、それからその次の仕事とか、その次の…ってこともやっていかなくてはいけません。
他の人はどうか知りませんが、これっていうのは結局のところ、次へ、次へ…と、考えていくと、すぐに「一生をどう過ごすのか?」ということに思い当たったり、当たらなかったりするわけです。
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そう考えてみると、iMandalArt という iPhone アプリには、「Life」という要素がありまして、それはそれで活用しない手はないんじゃないか? と、思うと同時に、なぜこんなことを考えているかというと、僕もそろそろ “結婚” という人生の一大イベントらしきものにぶちあたるのではないかという予感がひしひしと、もしくは “ひたひたと” しているからであります。

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Omni Focus を使ってプロジェクトをアクションという単位に微分し、それに “コンテキスト” と呼ばれる条件をつけ、ひとつひとつのタスクをこなしていくことは、確かに効率的であり、楽しいことでもあるのですが、重要なのは、「そのタスクにどういう意味があるか?」ということであり、そこに iMandalArt 的な「Life」という視点は、欠かせないのではないかと感じる次第。
しかしながらやっかいなことに、もう少し考えを深めてみると、すべてのことには意味があるようでない、もしくはその逆であり、結局、どっちでもいいじゃないか、と、感じてしまうのも確かなところ。
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だから僕たちは…っていうかいきなり “僕たち” といわれても困ると思うんだけれど…おそらく大切なことは、“矛盾した感情を扱う” ということではないでしょうか?
効率的なことをしたいけれど、無駄なこともしたい。
自らの手で人生を切り開きつつ、ただ単に流されてもいってみたい。
結局、どっちなんだよ、という話しなんですが、たぶん、考えるところ、人っていうのは矛盾しているはずなので、どっちでも良いのではないでしょうか?
これは別になげやりな意味ではなく、それを踏まえたうえで僕ができることは、おそらくこういった取り扱いに困るような感情を “どうにかこうにか表現” しようと試みることではないかと感じています。
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今回のエントリには落としどころがありません。
が、あえて強引に着地しようとするならば、いわゆる iPhone や Mac などのデジタルなツールには、僕にとっての “表現” を手助けしてくれるような「創造的な何か?」があり、このブログでは、最終的にはそんなところにちょこっとだけ踏み込んだ記事を書けるようになったら、それはそれで楽しいなあ、と、思っています。
とりあえず今日は寝る前に、iMandalArt の “Life” をいじってみようと思います。

