心をとめる

昨日は、ヨガ教室に行ってきました。

僕の把握しているところによると、ヨガというのは、本来的には、瞑想時の座っている状態を安定させるために行うもの。

ひらたく言えば、瞑想のための前準備。

で、そのポイントは「緊張と弛緩」の繰りかえと「呼吸法」にあって、きちんとしたやりかたを教わると、身体だけでなく、心までもがすっきりとして、落ち着くことが実感できる。

というわけで、ヨガを本格的に学ぶということは、同時に瞑想についても学ぶということになり(なぜなら、ヨガは瞑想の前準備みたいなものだから)、同時に、「なぜ? 瞑想するのか?」ということについても学ぶことになる。

これはなぜかというと、「真我」、つまり、「本当の自分」に出会うため、だとされている…

Kaka e Oddo

Kaka e Oddo

…とかなんとかいうと、少しうさんくさく感じるかもしれないけれど、はっきり言って、本物は、うさんくさいとかそういうレベルを大きく超えている。

ヨガの理論というのは、おおよそのスピリチュアルの理論の根底に流れているものだと言えると思う。

それはおよそ東洋的で、どうしても直感や感覚に頼らざるを得ないところにいきついてしまうけれど、もしかしたら、真実て、そういうものかもしれない。

で、真我、というのはつまり、心をとめる、ということ。

僕はここが印象的だった。

確かに、そうだと、感じた。

心をとめるとは、さざ波ひとつない、静かな水面のようなもの。

そして、そこに映しだされたすべてのものを、あるがままに見つめることができる。

おそらく現実とは、水面に映る月のようなもの。

僕たちの心が揺れていれば、その月も揺れてみえるだろう。

僕たちの心が止まっていれば、月は美しく輝いてみえるだろう。

ま、そんな感じなんじゃないかな。

ヨガの話しは面白いので、また機会があれば、話そうと思う。

写真は、全然、関係ないけれど、ミラン時代のカカー(とオッド)。

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