Archived entries for 僕の運命論(仮説)

世界観は変わるのか?

くわしくは知らないけれど、昔の人は、「地球の周りを太陽が回っている」と、思っていたそうな。

今、世界は、「自分に責任がある」という価値観が主だと思う。

前回のエントリーでも書いたような、「カルマの法則」というもの。「原因と結果の法則」っていう本もあったな。

良いことをすれば、良いことが起きる。

悪いことをすれば、悪いことが起きる。

前世から受け継いだカルマを落とさなくてはいけない。

とかなんとか。

これは、とても「しっくりくる」考えかただと思う。

だって、「原因は、あなたにあります」と、言われたほうが、いろいろとおさまりが良いもの。

でも僕は、あくまでも直感でしかないけれど、「それはちょっと違うかも…」と、感じています。

自分に原因があろうがなかろうが、起こることは起こる。

だから、「よい行い」とかって、あんまり関係ないのでは?と。

なぜそう思ったかというと、「占い」の結果から、そう思った。

毎日、占いをチェックしていると、確かに「当たっている」と、感じることが多い。

もちろん、それは人それぞれ、受けとりかた次第なんだろうけれど。

でも、実感として。

「当たる」ということは、僕がどんなにそれを避けようとしても、避けようがないこと。

だから、「良い行い」とかって、関係ないんじゃないか?

と、感じる、今日この頃、なのです…。

運命に関する、ふたつの仮説

今、僕は、「運命に関する、ふたつの仮説」の間で揺れています。

ひとつは、前回の記事でもちょっと触れた、「カルマの法則」というヤツ。

これは、簡単にいうならば、「運命とか幸せというものは、自分自身に原因がある。だから、良い行いをして、悪い行いをしないようにすれば、運命は改善されていく」というもの。

んで、ややこしいのになると、「前世で悪い行いをしていたから、それを落とさなくてはいけない」とかっていうのもあるそうです…。

この辺、詳細は不明です。だって確かめようがないんだもん…。

ただし、正しくヨーガを行って、正しい呼吸法を行い、正しく瞑想をすると、「確かにそのとおりだ!」と、実感できるそうです。

ほんとかな~。

と、訝しがっても一歩も前進しないので、今、僕は、ヨーガとその理論を学んでいます。

次、ふたつめの仮説。

これは、「あなたには原因はありません」というヤツ。

今まで、さんざん言われてきた「カルマの法則」。

言い換えればこれは、「責任はあなたにありますよ」という内容です。

しかし。

「そうではありませんよ」、というのが、2つめの仮説。

あなたには原因がありません。一切、責任はないのです。では、どこに責任があるかというと、「あなたの外側」です。

つまり例えば、部屋の中の机の位置を変えたり、ある特定の動物を飼ったりすることにより、努力やカルマの法則など一切関係なしに、運命が変わってしまう…というもの。

ほんとかな~。

と、訝しがっても一歩も前進しないので、とりあえず、風水でも学んでみようかと考えています。

今、僕の中には、対極と思われる「運命に関する2つの仮説」があります。

僕が生きているうちに、なんとか、この仮説を実証してみたいものです。

 

運命と成功哲学

先日、ちょっと面白い話しを聞きました。

「運命を変えるには、「よい行い」をすることが大切」というのです…。

これは、巷によくある 「カルマの法則」 というヤツでしょうか…。

つまり、良い行いをすると、それが貯金のようにたまっていって、運命を改善してくれる、というのです。

逆に、悪い行いをすると、貯金が減ってしまうそうです。

さらに、貯金がたまっていないのに運命をよくしてしまうと、あとでしっぺ返しをくらうそうなのです。(借金みたいなイメージ)

これは聞いた話なので、本当かどうかは、わかりません。

ただ、面白いな、と感じたのは、いわゆる 「成功哲学」 とか 「自己啓発」 などのマイナス面、という話です。

つまり、成功哲学や自己啓発というのは、先ほどのカルマの法則でいえば、「貯金がたまっていないのに運命を良くしてしまう」 ということなのだそうです。

確かに、ある種の成功哲学や自己啓発プログラムというのは、人間の潜在意識を操作する(操作してしまう)ので、効果はあるそうです。

しかし、カルマの法則でいえば、それは、貯金がないのにお金をおろそうとする、、「借金」 みたいなもの。

だから、成功哲学や自己啓発で成功した(ように思われる)人でも、長い目でみると、それ以上のマイナスを背負ってしまうことが、実は、多い、ということらしいです。

具体的には、精神的に鬱っぽくなってしまったり、稼いだお金以上の借金を背負ってしまったり…。

これを防ぐためには、「よい行い」 をすることだそうです。

また、このあたりを直感的に分かっている成功者(と呼ばれる人)は、自分が稼いだお金の、ある一定額を、毎月、慈善団体などに寄付しているそうです。

これは、カルマの法則で言うと 「よい行い」 にあたるのだそうです。

この法則が本当なら、とにかく 「よい行い」 をすれば良い、ということになります。

しかし、「よい行い」 の定義というのは、非常に難しいと思います。

なぜなら人は、人とつながりあって生きているからです。

本当の意味で、相手に対して 「良いこと」 をするのは、そう簡単ではありません。

ただ、いずれにしても言えるのは、悪い行いよりも、よい行いをしたほうがなんとなく気分が良い、ということです。

これが、今の僕にとっての真実です。

目的を決めたとしても意味はない?

運命は決まっているというのならば、目的を達成する、ということはどうなるのでしょうか?

例えば「思考は現実化する」と、言いますが、本当にそうなのでしょうか?

私の感覚では、その余地もあると思いますが、かなりの部分は、あらかじめ決められているような気がします。

どうしても私には、「つねに思考は現実化する」とは思えないのです。

なぜなら、人は「ひとりではない」からです。

ものすごく変な例ですが、2人の人間が、「次期アメリカ大統領になる」と、思考したとき、いったい、どちらの思考が現実化するのでしょうか?

想いが強いほうでしょうか?

でも、この時点で、「思考は現実化する」とはいえなくなってしまうのではないでしょうか?

人は、自分でも知らないところで、大勢の人とつながっているので、自分が思考したことが、すべからく現実化してしまう、ということは、私には、どうしても考えにくい…と、いうか、なんだか、あまりにも恐れ多い、というか、あまりにも自分勝手な考えかたに思えてしまうのです…。

ですから、なんというか、運命にまかせちゃったほうが楽なんじゃないでしょうか?

投げやりな気がしますが、そうではなく、それを受け入れていく、ということが大切なような気がするのです。

運命は決まっているのか?

運命は決まっているのでしょうか?

僕は、決まっていると思います。

なぜ、そう思うのか?

…根拠は、ありません。

ただ、あたる占い師や、未来を読み取る超能力者? みたいな人に遭遇してしまったら、どうしても、そうとしか思えなくなったのです…。

彼らは、いろいろな方法で「運命(という情報源)」にアクセスします。

占星術師は、「星の配置」をもとに、運命を解読(翻訳)しようと試みます。

手相なら、手。

顔相なら、顔。

これらは、「手段」に過ぎません。

彼らがアクセスしようとしているのは、「運命」という名の「情報源」です。

そしてそこはおそらく、私たちひとりひとりの運命が明文化されているわけでは、ありません。

なぜなら、以前の記事にも書いたように、「ひとつの運命が、複数のものごとを物語る」ようにできている(ように思える)からです。

おそらく、運命というのは決まっています。

今、僕が興味があるのは、「その範囲はどこまでか? そして、運命の改善はどこまで可能なのか?」ということです。

ないところにある

運命を味方につけるということについて考えてみたいと思います。

私の仮説では、これは「瞬間に存在すること」だと思っています。

これは、過去も未来もなく、その瞬間に存在することだけを考える、というような意味です。

人は、理想や目的を持っていきていきます。

しかし、実は、この「理想や目的」がやっかいものなのではないでしょうか?

…と、私は感じています。

過去も未来もなく、その瞬間に存在する、というのは、理想や目的を考えない、ということだと思います。

ただ、食べるために食べ、生きるために生きる。

もちろん、私たちの世界では、目的や理想を捨て去ることは難しいことだと思います。

しかし、実はここに、運命を味方につけるヒントがつまっているのではないか?と、私は感じています。

理想と現実

夢や理想、希望を抱くことは、人として素晴らしいことだと思います。

しかし、理想や希望を抱くからこそ、それは欲求となり、それが得られないときはマイナス(ストレス)となって自分に襲いかかる、というようにも言えると思います。

努力をすることは大切であり、素晴らしいことですが、努力しても叶わないものに遭遇したとき、人は(その努力の分だけ)執着し、そこから離れられなくなってしまいます。

こう考えると、希望を抱くことなく、努力することなく、ただ、毎日をたんたんと生きることこそが、ひとつの幸せのカタチと言えると思います。

しかし、人は、希望なく生きることはできないと思いますし、努力をせざるを得ない場面もあると思います。

つまり私が突き詰めたいと思っているのは、「矛盾する感情を扱う」ということです。

努力することなく、努力する

希望をもつことなく、希望をもつ

うまく言葉にはできませんが、こんなようなことが、人としての新しい生きかた(もしくは真理)に近いものなのでは?と、感じています。

 



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