「住む世界が違う」

実力的、競争の世界においてこれは便利な言葉だと思っていました。

このひとことで深く考えたり感じたりしようとすることを止めることができる。

そうすれば、嫉妬も感じないですむし、あきらめもつく。見たくない自分の弱さに目をそむけ続けることもできるし、気づかないふりをして新しい選択をすることもできる。

それは決して愚かではなく、賢明である、といえるかもしれません。また多くの人はどこかでそうやって諦めて生きているのかもしれないのです。

ですからこれらのことをひっくるめて、決してネガティブなことだとは思いません。が、しかしときとして「本当に住む世界が違うんだなあ」というような人もいるようです。

あまりにも違いすぎて比較しようもないというか、あっけらかんとそう思うしかない、というような。

垂直の記憶 という本を読みました。

私は登山のことはほとんど知らないのですが、それでもこの山野井泰史さんという方が、まったく違う世界に住んでいるんだろうなあ、ということはよーく感じました。

それは、単に好きなことをやり続けるとか夢を追い続けるといった心地よい言葉で表現できるようなものではなく、もっとヤバイ感じ。何か「取り憑かれてしまった」系の。

どこかの動画でご本人も言ってらっしゃったのですが「ずっと発狂しているような感じ」。これって普通ではないと思います。

手と足の指を十本ほどなくしてなお、「楽しい登山だった」といえるその感覚は私にとっては衝撃でした。

この本は、本人による登山記録といえるでしょう。記録のための文ですから、余計な修飾や比喩はほとんどなく、淡々と、事実をできるだけ事実として伝えようといった感じで綴られています。

「垂直の記憶」というタイトルにあるように、普通の山登りというよりは垂直、またはそれ以上の、覆いかぶさるような角度の崖のようなところを数日間かけて登っていくような、そんな過酷すぎる内容の登山です。

しかし淡々としているからこそ、その凄さ、激しさ、過酷さが私のような素人にも伝わってくるのかもしれません。

この本には別に「ずっとやりたかったことをやるべきである」とか「夢を追いかけることは良いことだ」といった説教くさいことはひとこともでてきません。

もちろんご本人はずっとやりたかったことをいまだにやり続けていて、いまだに夢を追いかけ続けていらっしゃるのだと思いますが、この本を読んで「私もそうやって生きていこう」と思える人って、そうはいないんじゃないでしょうか?

なぜなら「私はここまでは好きになれない」ということにどこかで気づいてしまうはずだからです。一晩ならまだしもずっと発狂し続けるなんて、普通の人にはできないよね、、と。

しかしこの本を手に取れば、少なくともその間は “発狂” できるかもしれません。

そして完全に住む世界が違うという「人」、しかしおそらくものすごく魅力的であろう「人」を見つけることができるかもしれません。

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