個人的に思うことなのですが、商品にはサイクルがあるけれども、作品にはそれがないのかもしれません。

例えば音楽というものをとってみても、商品としての音楽は数年で消えていくけれども、作品はいつまでも残る。

それは時代を超えた普遍的な力のようなものをもっていて、いつまでも人々の心を揺さぶりつづけるエネルギーを持っているようにも感じます。

もちろん音楽において、何をもって商品というのか、作品というのか? というところは議論の別れる部分があるかもしれません……まあそういうくだらない議論が面白かったりもしますけれども。

ただものすごくおおざっぱにいえば、作品というのは、単に「お金を儲けよう」というだけではないプラスアルファがあるように感じます。(当たり前か)

そして私が最近になって思うのは、私自身の活動としてはそれを意識することができる、ということです。

もちろん私たちは基本としてお金を稼がなくては生きていくことができなくなる可能性が高いのですが、しかしプラスアルファの何か、を意識しながら生きていくというのは、私は面白いことだと感じています。

また別の角度から見てみるならば、私たちは商品ではなくひとつの作品なのだ、とあえて考えてみることは、なんとなく癒されるような感じもします。

個人として好きなことを仕事にしていきたい、という多くの人が、好きなことをやろうとしている割にはそれを商品として扱おうとしている、という場面もみてきました。

これはどういうことかといえば「こんなにうまくいかないとは思わなかった」ということです。先ほどの音楽の例でいえば、「俺たちの創る作品では大衆には受け入れられないようだから、もっと一般ウケする方向へ転換しよう」というような。

音楽の話はあくまでも例えなのでわかりませんが、私が見させてもらっている個人としてのビジネスであるとか、好きなことを仕事にしていこう、というようなケースでいえば、多くの場合、このような試みは失敗に終わるように見受けられます。

もちろん “顧客目線” というものは大切ですが、重要なのは “それを取り入れる” ということであって、別の何かになるということではないのです。好きな人ができたときに、相手の好みを知ることと、相手の好みの人間になりきることは違う、というようなニュアンスでしょうか。

他人からの視線、仕事の場合でいえばお客の要求や要望というものは、自分ではない他人になりきるというものではなく、実は自分自身になるためのヒントなのかもしれません。自らを高度に商品化しようとするよりも、その先にある「作品」という視点から見下ろしてみる、というのも面白いことだと思います。

できれば私も、実際にはなかなか難しいことではありますが、「作品」と呼べるようなものを創っていけたら嬉しいなと思っています。一生かければ、いつかできるかもしれませんね。

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