私は、自由であると同時に不安でもあると感じています。

誰かが決めたルールに従う代わりに身分的なものが保証されるというのであれば、不自由であってもそのほうが落ち着く、という人もいるのかもしれません。

もしかしたら間違っているのかもしれませんが、私にとっては会社に勤めるということがこれに近かったです。

では会社勤めが不自由で独立している人が自由かというと、当たり前ですが必ずしもそうとは言い切れない。

仕事がうまくいけば不安はなくなると思っていた

しかしいずれにしても、本当の意味での自由ということについて考えてみるのであれば、自由というものの影に隠れている可能性のある不安、これに対する付きあいかたを身につける必要があるのではないでしょうか?

振り返ってみれば独立した最初の頃は、何か有名にならなくてはいけないのではないか?とか、競争に勝たなくてはいけないのではないか?とか、大きなことをしなくてはいけないのではないか?とか、とにかく “自分には(フリーでやっていける)実力がある” というところを見せつけなければいけないんだ、というように考えていた気がします。

それは他人に対して、という部分もあったでしょうし、また自分に対して、という部分もあったでしょう。

しかし今は、もう少し慎重というか保守的というのかな、そういう風に考えかたがシフトしてきているように思います。下手に有名になっちゃったら大変だよとか、競争しなくてもやっていける方が楽で良いよね〜、とか。

野心やチャレンジ精神がなくなったというよりも、単にひたすら攻めるしか作戦がなかったあの頃に比べて、守ったり、のらりくらりかわしたり、そういうやりかたを覚えた、ということなのだと思っています。

よく思い出してみれば、独立した当初のほうが人生に対して不安だった。しかしとにかく前に進むしかなかったし、その不安というのも “仕事がうまくいけば” きっとなくなるだろうと思ってた。

しかし良くも悪くも多少の余裕があり、その余裕でもって自由でいられるという今、いまだに不安というものが心のどこかでモゾモゾとうごめいていて、たまーに顔をだしたりするんだ、というのは私にとってはちょっとした驚きでもありました。

まあ客観的にみてみれば、以前に比べてお客さんに対する責任というようなものもあるし、家族やかかわり合いのある人に対する責任というようなものもあるので、そのような意味で不安になるのは当たり前だ、とも言えるのかもしれませんが。

なんだか個人的かつ抽象的な話しで済みませんが、とにかく、”不安ともう少し上手につきあう” ということについて考えてみよう、ということです。

制限とつけて書きだしてみる

シンプルに考えれば、不安というのは “紙に書きだす” ことによってだいぶクリアになるはずです。おそらく客観的にながめることができるようになるからでしょう。

それでひと工夫なのですが、

「とりあえず、”今日” 、気になっていることをすべて書きだす」

というように “今日” とか “いま” とか “午前中” というような制限をつけて書きだしてみたらどうでしょうか?ということを提案してみたいです。

なぜかといえば「頭の中の不安すべて」だと漠然としすぎているので、なんらかの制限があったほうが良いからです。

まとめ

紙に書きだしてみるということは、要するには自分と向きあう、ということなんだと思います。

非常識かもしれませんが、年齢的、社会的なモノサシから外れた部分での自分に対する正直さ、みたいなものを大切にしたいという自分がいて、それはたぶん、誰とも共有できないものなのだろうとは思いますが、しかしそれは私にとっては自由であり癒しでもあるのだと感じています。

あれっ、話しが変な方向に行っちゃいましたね、今日はここまでです。

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