以前の記事で携帯(iPhone)を解約しました、というようなことを書きました。
そのため私は外出してしまうと自由にネットができません。
ネットにつながっていないということは、ときに解放的であり、ときに不安です。
しかしもしかしたらこの不安というのは “気のせいかもしれない” と思うこともあります。
自分がネットができないほんの数時間の間に、何か重大なことが起こっているのかもしれないし、でも起こっていないのかもしれない。それを確かめるにはネット――例えばツイッターやフェイスブックとか、いつも読んでるブログとか――に “つながる” しかないのだけれども、でも、実際にそうしてみて、 “なにか重大なこと” が起きていたことはいまのところないからです。
メールチェックの回数も決めてみた
そこで私は思い切って、不安ながらも一日のメールチェックの回数を決めてみることにしました。朝、昼、晩の三回です。なんか薬みたいですね。
同時に、メールをチェックしたときはそこで確実に “なんらかの処理” を行うことにしました。返事をするとか、検討して次のメールチェックの際には返事をするとか、です。そして処理が終わったら受信トレイから所定のフォルダに移動するようにしました。
こうすることにより、受信トレイに残っているメールが未処理ということになりますので、分かりやすいです。
無駄な時間は少なくなったのか?
なんで不安を感じながらも、いつでもどこでもつながっているという便利な状況から離れて、メールチェックの回数も(実質的に)少なくしたのか?
その理由は先日の記事でも触れましたけれども、数日たってあらためて考えてみれば、”そのほうが無駄な時間が少なくなるような気がしたから” ということなのかな、とも思っています。
SNS などを含むネットやメールチェック。これらは私の場合、ついついなんとなくやってしまうものであり、気づいたらダラダラとした時間を過ごしてしまっているものでもあります。でもなぜやってしまうのかといえば、最初にお話ししたように、なんか不安だから、なんだよなあ、と、実際に離れてみて分かりました。
不安や心配の対処について
今日も一日そんなことをぼんやりと考えいて、これからはとりあえず “不安に感じていること” をどこかにメモしておこうと思いました。
そのうえで、”自分でどうにかできること” と “自分ではどうにもできないこと” に分ける。
自分でどうにかできることについては、次にとるべき行動について考えて、どうにもできないことについては、どうにもできないんだからあきらめる。
こんな風なステップを踏んでみようと考えています。
それで結局のところこれっていうのは GTD のワークフローであり、つまり “頭のなかの気になっていること” = “いま、不安に感じていること” をきちんと収集するしかない、ということになるのでしょう。
このように考えてみると、きちんと収集するためにはまず不安というものと向きあう必要がある、ということになり、不安と向きあうためには “不安を感じている自分” に対してもう少しやさしくしてあげても良いのかも。
なので変な言いかたですが、「不安を感じてもいいんだ」と思うようにしてみようと考えています。
まとめ
この感覚はなんなのだろう、と思いだしてみれば、禁煙したときの禁断症状に似ているんですよね。でも、ネットにつながっているということが悪いということではないと思います。
個人的な考えとして、つながっていなくても大丈夫という状況をどこまでつくれるのか?ということについてもう少し、実践というか実験してみたいと思っています。
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