誰だって言いたいことのひとつやふたつはあると思うのですが、私の場合は「もっと死ぬことについて考えよう」ということです。

……っていうと怪しくなってしまいますね。

これは要するに「死生観」のことで、とはいえ「死生観」とひとことでいっても漠然としちゃうので、「家訓をつくろうぜ」というのはそのためのひとつの提案でもあるんです。

つまり家訓とは家の DNA である、ということ。

家訓は、家に伝わる精神的なDNAです。生命というのは一個の個体として存在し、死が訪れれば消滅します。子どもや孫がいれば、生物学的なDNAは受け継がれます。一方、家訓は血のつながりにかぎらず、家という共同体を通じて受け継がれていくものです。

財産といった物理的なものではなく、精神的なものを残すことができる、ということです。

私は父を亡くしてすでに10年以上たちますが、現代社会における死というものの存在の薄さというか、遠くにある感じが気になることがあります。

それについて考えるということは、とりもなおさず」生きること」を考えることにつながるかもしれません。

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