私たちが送るところの「人生」というものについて考えたときーー特に、満足のいく生きかたということについて考えたときーーどのように死ぬか? ということが重要になってくると思います。

それはつまり、高齢期をどのように生きるのか? ということであり、特に超高齢化社会といわれる日本においては、(いままで誰も経験したことのない)未知の社会へ突入することが避けられません。

そこでは、医療制度やケアシステムに頼るということだけではなく、高齢期における自立ということについて、ひとりひとりが考えておく必要があるでしょう。

長寿社会・超高齢社会に生きることを一言であらわすならば、「老いとの共存」といえるだろう。個人における老いとの共存とは何か?喫煙、飲酒、食事、運動など個々の人生のなかで形成される生活習慣病は、いわば〝慢性に経過する不治の病〟であるが、これといかに共存し、さらに加齢にともなって徐々に顕在化する心身の機能減衰・虚弱・障害といかに付き合うかを考え、人生の晩年を満足して暮らしてゆくための実践の智を長い年月をかけて涵養してゆくことであろう。

超高齢社会の基礎知識 鈴木 隆雄(講談社 2012)

…とありますが、「人生の晩年を満足して暮らしてゆくための実践の智を長い年月をかけて涵養してゆく」という点について私は強く共感します。

さてこのように考えたとき、私の中でひとつのキーワードとなるのが「得る」と「在る」というもの。

「何を得るのかより、どう在るのか?」

これが、いずれ高齢期を生きていくことになる私個人としてのテーマであり(ちなみに私は四十代)、そしてそれは、実は「いま現在」とつながっているのではないでしょうか?

つまり私たちは、何を得たいのか? ということよりも、おそらくその先にあるであろう、(人として)どう在りたいのか? ということについて考えをめぐらし、そしてある程度それを、具体的な戦略をもってそうあれるように、日々、過ごしていくべきであり、そうありたい、と思うのです。

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