以前、「お金にはそれ自体には価値がない」という記事を書きました。

今日はその続きで、では、人はお金のどんな部分に価値を感じるのでしょうか?ということについて考えてみましょう。

私の考えは、お金とは媒介である、というものです。

媒介というのは、例えばリレーのバトンとか、駅伝のたすきみたいなものをイメージしてみると分かりやすいかもしれません。

バトンそれ自体にはたいした価値がありませんが、例えばあなたがリレーの選手だとして、「チームのみんながここまで頑張って走ってくれて、渡してくれたバトン」というように想像すると、途端に重みを感じないでしょうか?

お金それ自体は、人から人へと渡っていく媒介に過ぎないのですが、それに付随する情報(物語や意味、思惑)こそが、現代においては、価値があると信じられているのです。

例えば、知人からお金を貸してほしいと頼まれたとします。

それもかなりの高額で、その知人は二週間で返すといっていますが、もし返してくれなければ、あなたは来月の生活費がなくなってしまいます。

二週間後に返ってくるという話が嘘にせよ、本当にせよ、同じ金額を自分のために使うのとはまったく違う印象を受けるはずです。

そしてこのように考えてみると、お金にどのような情報を載せるのか? ということは、実は自分次第であることに気づきます。

つまり、金額の多寡にかかわらず、ポジティブなお金の使いかたをしていくことは可能であり、そこにはある意味、無限の価値があるのではないでしょうか?

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